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モラハラ夫との離婚を決意
憔悴しきった別居翌日の朝
よく眠れないまま朝が来ました。出発当日も体調は優れなく、嘔吐を繰り返していました。子どもを起こして、朝食をたべさせ、出発する準備をしました。
結局、朝になっても元主人から連絡はなにもありませんでした。
私はとにかく、早く実家へ着きたい一心でしたので、少し早めにホテルを出て、直通バスで空港に向かいました。
直通バスに乗るまでも、空港に着いてからも歩く事が多かったのですが、子どもは文句も言わず頑張って歩いてくれました。
いざ、実家へ出発
空港に着き、まず重いキャリーケースを預けました。そのあとは、搭乗まで少し時間があったので、子どもに好きなおもちゃと絵本と子どもの食事を買いました。子どもは笑顔でとても喜んでいました。
いつもは楽しい空港も、その日は気が乗らず疲れ切っていたので、搭乗まで黙って座っていました。
すると、母から電話がきて、
「おはよう。体調大丈夫?もうね、お父さんとお母さん空港に向かってるから、こっちに着いたら連絡しなさい。迎えに行くから一緒に帰ろう。」
と言われました。
実家から最寄りの空港までは車で1時間ほどの距離です。いきなりだったにも関わらず、迎えに来てくれました。本当に感謝の思いでいっぱいでした。
私のいる空港から実家の最寄りの空港まではおよそ1時間半の飛行時間です。
あと少し、あと少しで実家に行ける・・・と気持ちを奮い立たせて、子どもの手を握り、飛行機へ乗りました。
やっとの思いで、出発となりました。
実家の空港に到着
飛行機に乗り1時間半、無事に空港に到着しました。到着ロビーには、両親が既に迎えに来てくれていました。子どもは約半年ぶりにじぃじとばぁばに会えて、真っ先に抱きついていました。私は預けた荷物を受け取ったあと、両親の元へ行きました。
両親は、
「おかえり」
と迎えてくれました。
両親の顔を見た時、なんとも言えない安心感がこみ上げました。
そこでは何も話にふれることなく、父は黙って私が持っていたキャリーケースを持ってくれました。
母は、
「こんな青白い顔して・・おかえり」
と、それだけで、特に深い事は話さず、車に乗り込み実家へと向かいました。車の中で、私と子どもは寝てしまいました。
実家に到着
空港から車で1時間半、朝から合わせておよそ5時間ほどで、やっとの思いで実家へ到着しました。
なんと言っていいかわからないほど、安堵した気持ちでいっぱいでした。
少し落ち着いてから父と母の前に座り、今回の事を話し始めました。
両親の言葉と思い
父は、
「あれからあいつから連絡あったのか?」
と言いました。私は、
「ないよ。何にも連絡来てない。」
と言いました。
父は呆れたかのように首を傾げて、続いてこう言いました。
「もうこれが2回目だからな。前よりも今回の方があいつのした事はあり得ないレベルだぞ。ましてや何にも連絡ないなんてあり得ないだろう。そんなの家族でもなんでもない。あいつは結局自分の事しか考えてない奴なんだよ。子どもの事なんて1つも考えてないだろう。あそこの家とは家庭環境が違いすぎるんだ。理解できるわけないんだから、夫婦としてやっていける訳がない。お前が我慢してまで一緒にいる男でもない。電話でも言ったけど、見切りつけるべきだぞ。」
と静かにいいました。
母は、
「お父さんの言う通りだよ。今更タトゥー入れたいだなんて考え普通じゃないからね。あんたが反対した事は当たり前だよ。誰が聞いても間違ってない。お母さんも、もうあの家と関わっていく事は無理だと思うし、あんたと子どもが不幸になるだけだわ。子どもにとって絶対に良くない環境だからね?わかるよね?」
と言いました。私は、またポロポロと泣いていました。
そして私は、
「もう無理なのはわかってるよ。2回目はないからとも言ってるし、私もそう思う。でも、子どもの事を考えると・・
わたしの我慢が足りないせいで、父親を奪うことになってしまうのが本当にいい決断なのかがわからなくて・・離婚保留にしてからの2年間は、むこうはかなり努力して直して、理想の家庭で過ごしてこれたから、毎日が辛かった訳じゃないの。子どもの事もみてくれた。子どももパパの事大好きだし・・私の一時の感情で離婚を決めてしまって良いのかな・・」
と、泣きじゃくりながら言いました。
父は、
「子どもの幸せを思うからこそ離婚するんだろう!あのままの状況でどうやって育てられる?しかもこれから2人育てるんだぞ?タトゥーを追加してきて、子どもになんて説明できるんだ?そんな父親がいるか?一時は落ち着いていたかもしれないけど、結局こうなるじゃないか!夫婦ごっこしてただけなんだ!一生繰り返しなんだぞ!そんな父親逆にいらないね。子どもと離した方が絶対に良い。お前は今まで十分我慢してきたよ。これ以上我慢しなくていい。このままだと、お前も子どもも共倒れになるぞ。いいか、離婚する事はお前のせいじゃない。お前は何も悪くない。全部あいつが悪いんだ。だから子どもに対してそんな感情持つな。父親を奪った訳じゃない。幸せに暮らすためにそうするんだ。お腹の子もこっちで産めば良いじゃないか。この家にいつまで居てもいい。お前が働けるようになって、まとまったお金が出来たらその後の事は色々考えたらいい。」
と、父は少し声を荒げたりもしましたが、私と子どもの為を思った、理解ある温かい言葉ばかりでした。
私はずっと泣いていました。母もそれを聞いて、頷いていました。
私は、
「本当にごめんね・・・宜しくお願いします・・離婚します・・」
と泣きながら頭を下げて言いました。
父は、
「いいんだ、それがお前と子どもにとって1番良い決断だ。できる限りお母さんと一緒に守ってやるから。すぐに出て行けなんて言わないから。お前の居場所ここにあるんだから。」
と泣きながら言いました。
両親への誓い
なんて親不孝ものなんだと、今まで好き勝手生きてきたツケが回ってきたんだと、親の言う事を聞かずに生きてきた自分を恥じました。
それでも、両親は手を差し伸べてくれました。私は、これからは両親を大事に、2度と両親を悲しませるような事はしないと、心に決めました。
こうして、私は離婚を決意しました。
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