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諦めと我慢、深まり始めたモラハラ夫との溝…転居、就活、保育園探し②

全てが他人事…モラハラ夫には何も伝わらない

子育てと家事の合間をぬって、電車に乗り継ぎ、約2ヶ月ほど家探しは続きました。
とにかく最初に家を決めなければ何も始まらなかったので、最終的には元主人の許可が得られた物件に決めました。

転居先は元主人の両親の家からもかなり近い距離でした。物件の契約をし、内装のリフォームや不動産側の事情もあったので、引っ越しは2ヶ月後に決まりました。

次に決まったのが、私の仕事でした。仕事に関しては、子どもの預け先が義母しかない状態だったので、義母の休みの日に出勤出来ますとしかいえず、(それもかなり曖昧でしか答えれませんでした)面接すら受けてもらえない状況が続きました。こんなに決まらなかった就活は体験した事がなかったので、決まった時は飛び跳ねる程嬉しかったのを覚えています。

そして最後に決まったのが保育園でした。保育園探しは、新居からの距離が関係したので場所が限られていました。しかし、待機児童が多かったのと、当時はまだ仕事に就いたばかりで、実績が無かったので、求職扱いでの申請となってしまい、すんなりとは決まりませんでした。

就職して1ヶ月経った頃、役所から保育園決定の知らせが来たので、こちらの結果を聞いた時も、本当に心から喜びました。
これらが決まった事は常に元主人に報告していました。ですが、相変わらずの対応で、
「良かったじゃん」や、「ふーん」など全てが他人事でした。

この頃になると、その対応に寂しさや多少の不満はありましたが、だんだん慣れてきてしまい、「元主人も仕事で疲れているしな」と理解し、妻として小さな事でごちゃごちゃ不満をぶつけるのはやめようと更に我慢をしました。

慣れない通勤、仕事、家事、育児

引っ越すまでの間は、朝の5時に起き、通勤は朝から満員電車の中、ベビーカーや抱っこ紐で子どもを連れて乗り、1時間乗り継ぎ、義母に子どもを預け、それから自転車で職場に通いました。9時から17時までのパートです。帰宅は19時頃でしたので、それから家事と、慣れるまでは本当にクタクタでした。

しかし、ラッキーだったのは、義母の家から保育園は徒歩3分の距離、そこから職場までは自転車で10分の距離だった事でした。
引っ越しすれば、辛い通勤が無くなると言い聞かせ、とにかく頑張りました。

この事も元主人に話したかったのですが、言われる言葉はわかっていたのであえて言いませんでした。

妥協と我慢、モラハラ夫の支配下で深まる夫婦の溝

夫婦としてコミュニケーションを取らなければ、義父母のようになる。それは絶対に嫌なので、無関心な言い方をされても、1日の出来事や報告は諦めずにして来ました。

しかし、結婚1年が過ぎた頃から私自身諦めの気持ちが強くなってきました。
というか、もう何を話せば良いのかがわからなくなっていました。

興味を持ってもらう為に言い方を変えたり、少し話を盛ったり、いちいち気を遣って話す事が疲れてきました。テレビ一つでもそうです。バラエティやドラマを見ていて、面白い場面があって笑ったとします。すると元主人は、
「ここそんな面白い場面か?笑いのツボおかしいだろ」
と真顔で見下したように言われます。

逆に元主人が笑う場面は私は笑えません。しかし、私はそれをいちいち指摘はしません。個々で面白さの基準は違いますし、突っ込むところでもありません。ただ、何回もこんな事を言われ続けていると、「また言われたら嫌だ」と思い、テレビを見ていても感情を表に出さず、本当は笑いたいのに、我慢するようになってしまいました。その方がストレスにならないと感じていました。

なので、絶対に話さなければいけない事以外は、会話が無くなっていました。
基本的に、元主人は仕事の話を聞いても答える人では無かったので、聞いてはいけない事なんだと理解し、あえて聞きませんでした。だんだんと、元主人の両親のような夫婦の溝が出来始めていました。

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