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平穏な生活からいきなりどん底に…モラハラ夫との別居当日の夜

モラハラ夫との別居当日は、子どもと2人でホテルへ

ビジネスホテルまでは地下鉄で向かいました。その間に、母には飛行機の日程をメールで伝えました。

近場のビジネスホテルがその日はどこも満室だったので、自宅から離れた所での宿泊になりました。あまり土地勘がないところだったので、若干迷いながら、ホテルに辿り着きました。時刻はすでに20時でした。子どもを振り回してしまい、そんな時間に連れ回してしまって、本当に申し訳ない思いでした。

子どもは部屋に入ると、きょとんとしていて
「今日はここに寝るの?」
と言いました。私は、
「そうだよ、今日はここがおうち。明日になったら、じぃじとばぁばのおうちに行こうね。」
と言いました。

子どもは無邪気に、
「そうなんだ!わかったー!ママ、ご飯食べたい!」
と言いました。

その日はコンビニでご飯を買ったので、遅い夕食になってしまいましたが、子どもに与えました。私は、つわりと精神的な事で全く食欲がわかず、それでも何か食べなきゃと思い、パンをほんの少し頑張って食べました。

この時は、子どもの前で笑顔を作るのが精一杯でした。

モラハラ夫との別居の経緯を義母へ報告

子どもとお風呂に入り、やはり疲れてしまったのか、そのまま子どもはベッドで寝てしまいました。
私は、義母にまだ何も伝えていなかったので、電話で離婚を突きつけられた経緯、別居の報告をしました。

義母は、
「あの子またそんな事言って・・本当バカだね。お腹の子もいるのに・・今回だってカッとなって言ってしまったんでしょう。何も考えなしで言ったんだと思うよ?」
と、言いました。

私は、
「それもあるかもしれません。でも、カッとなって言ってしまったでは済まされないし、夫婦間で絶対に言ってはいけない言葉ですよね。しかも、妊娠中の私にそんな事を言ったんです。それを軽々しく言ったんであれば、尚更あり得ない事です。今回のタトゥーの話から始まって、誰が聞いても向こうの主張は理解しがたい事ですよね。夫として父として、全然自覚ないです。こんな事が2回目で、私あの人とこれから修復してやり直す自信が正直ありません・・」
と、涙ながらに言いました。

義母は、
「あの子は自分のやりたい事は何が何でもやってしまう子だからね〜。最初のタトゥーだって、許してないのに入れてきちゃったからもう何にも言えなくてね。本当バカなのよ。私からも一応連絡はしてみるけど、私が言ってもあの子聞かないし、まず連絡が繋がらないからね〜。
私もあの子はなんだかとっつきにくくてね・・兄弟なのになんであんなに性格違うんだか・・。あなたもバカな事考えちゃダメだよ。言ってる事わかる?お腹の子だっているんだから、泣いてばかりじゃだめよ。胎児に悪影響だからね。まだ2人で冷静に話し合えてないんだから、まず話し合わないと。明日からご実家に行くのね。それはわかったよ。たくさん甘えてきてね〜。」
と、なんともこんな軽い事をべらべらと言われました。謝りもされませんでしたし、本当に他人事かのように話されました。

離婚の危機で、嫁は飛行機で実家に行き、別居をしようとしているのに、原因を作った息子の親がこの態度なのは本当に腹が立ちました。もっと息子を叱り、親として私とむこうの間に入るのが普通なはずです。

しかも、私の実家に甘えてきてねとはどういう事だ?胎児に悪影響になるのは私が悪いのか?バカな事考えるなとは離婚する決断の事か?と全く理解できませんでした。単に帰省する訳ではないのに、もうこの親にも助けなんて求めたらダメだと思いました。そして、そんな言葉を掛ける無神経さに、改めて呆れました。

怒りと悔しさで疲れ切った別居当日

この日は泣き疲れて目も腫れ上がり、頭痛もいつもにも増して酷い状態でした。頭の中では、元主人に言われた事、義母に言われた事が錯綜し、非常に腹立たしい気持ちでいっぱいでした。体も精神的にも疲れているはずなのに、全く眠る事ができず、嘔吐を繰り返してました。

そして、夜中になっても元主人から連絡が来る事はありませんでした。
もう早く実家に着いて、両親の元へ行きたい一心でした。
腹立たしい思い、悔しい思い、裏切られた思いがいっぱいでした。

平穏な生活からいきなりどん底に落とされ、まさに青天の霹靂とはこの事でした。

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